1/31/2010

【書評】ナビゲート!日本経済ーーー脇田成



本書において著者は日本のマクロ経済について、様々な「例え」を用いて説明している。そのため、専門家の解説というよりも大学教授の授業に近い「砕き方」になっている。

マクロ経済学に関しては、斎藤誠さんの著書も買ったのでこの本と合わせて学んでいきたいが、本書で唯一腑に落ちなかった部分がある。

 少子化の回避に成功すれば、財政危機などほとんどの問題は
 自動的に解決しますが、失敗すればたいへんな調整を
 強いられます。しかし、(中略)多くの人々が少子化対策を
 バカにしがちです。

少子化に関しては野口悠紀雄さんも「資本開国論」で述べていたが、たとえ「出生児数が2倍になるというカミカゼ」が吹いたところでも、その実質的な効果が年金財政や労働力不足などに対して現れるのは2050年頃なのだ。

この命題は少子化対策が叫ばれるなかでは違和感があるが、少し考えてみると当然のことだ。そもそも生まれてくる子どもの数が増えるということは1歳以下の子ども数が増えることを意味する。
もし、いま出生児数が劇的に増えても、その世代が生産年齢人口に数えられるのは15年後なのだ。その間、依存人口比率は増え続ける。また、15年経ったら問題が解決するわけでもなく、徐々に生産年齢人口が増えていくだけなので、現在の推計と比べて実質的に効果が現れるのは約40年後なのだ。

野口悠紀雄さんも結論づけているように、今さら出生率を引き上げても経済問題に対しては「手遅れ」なのだ。もちろん、子育て支援などが無意味という訳ではないが。

【書評】すべては一杯のコーヒーからーーー松田公太



表紙のデザインからも分かる通り、タリーズコーヒージャパンの起業ストーリーである。ただ、起業に関してだけ書かれている訳ではなく、著者の生まれてから本書を書く2002年までの軌跡が綴られている。

どんな人々と関わってきたのか、どんな取引先とどのような交渉をしてきたのか、などが細かく書いてあるのはファーストリテイリングの柳井正さんの「成功は一日で捨て去れ」と同じ印象を受ける。

この類の著書を読んでいつも思うことが、「実は著者自身が忘れたくない経験、忘れてはならない失敗」などを敢えて赤裸々に描き、自分を奮い立たせているのではないか、ということだ。誰かに思いを伝えたい、というよりも自分を浮かれさせないために今までの経験を振り返っているように感じる。もちろん、真相は著者本人も聞かなければ分からないが。

そして、誰かに伝えるためよりも自戒のための本の方が得てして読んでいて面白い。松田公太さんの著書は「仕事は5年でやめなさい。」に続いて2冊目だが、どちらかを読むなら
そういった意味でも「すべては~」の方をおすすめする。

1/30/2010

【書評】資本開国論―新たなグローバル化時代の経済戦略---野口悠紀雄



野口悠紀雄さんの著書は初めて読んだが、理路整然としていて無駄がほとんどない印象を受けた。

本書が世に出たのは2007年5月で、そのときは安倍内閣だった。自民党政権は福田内閣・麻生内閣へと引き継がれ去年の9月に政権交代し、民主党の鳩山内閣が生まれた。07年には予期出来なかったかもしれないが、この国は1年に1回首相が変わっていっているのだ。いまの鳩山首相も、数年後には「変なこと言ってたお坊ちゃま」としか記憶されていないかもしれない。

しかし、総理大臣とは違って日本の産業構造はほとんど変化がない。この本の次の著書のタイトルは「モノづくり幻想が日本経済をダメにする」だが、3年後の今でも「モノづくり」信仰は非常に根強い。むしろ、08年の金融危機を経て、「金融=強欲」というイメージが広がったようにも思える。

本書ではイギリスやアイルランドのように、日本も資本開国をして企業を国際競争にさらすべきだと論じている。サバイバルとしての金融にも書かれていたが「外資=ハゲタカ」というイメージも未だに日本に根強いと感じる。
つい最近でも日本航空にデルタ航空が出資する、というニュースがあったときも(確かヤフーニュースのコメント欄に)「また日本の企業が外資に食われる」というコメントがあり、さらに「そう思う」に多くの票が集まっていた。

日本には変えなければならないことが非常に多い。その最たるものが産業構造だと思う。


この表が事実かどうか知らないが、10年後もこの序列・水準を維持するのは間違いなく不可能だと思う。序列だけを維持することは出来るかも知れないが、それは水準が下がるorインフレが起こるときしかない。

社会人になるまであと2ヶ月。決して会社には安住せず、世界の流れを見て生きなければならないと強く思う。

【書評】生活保護VSワーキングプア---大山典宏



生活保護や派遣切りに関しては「反貧困」、ワーキングプアに関しては「ワーキングプア」を読めば足りることは足りる。この2冊の方が実例も多く載っているし、よりリアルを感じられるかもしれない。

ただ、(2冊を読んだ後だからなのかもしれないが)本書には根底にある深い深い問題提起がある。

ーーーどこまでが自己責任なのかーーー

生活保護は市区町村の福祉事務所に勤めるケースワーカーが担う仕事だが、ケースワーカーがいかに「自己責任」について悩んでいるのかが、本書を読むととてもよく分かる。

本書が秀逸なのは、貧困の救済をただ訴えるのではなく費用と便益を考慮して効率的な運用をすべきだと主張していることである。

費用と便益を考慮した制度設計、というのは実は教育においてすでに構築されている。学校教育にかかる費用を個人ではなく国民で負担するというコンセンサスは、「費用と便益」の面から考えてそうすることが有益だからである。ミルトン・フリードマンはもっと効率的な制度を考えているがそれはまた今度。

貧困問題にはどうしても自己責任という言葉が付き纏ってしまって「費用と便益」という視点が失われがちだが、教育と同じように制度設計する必要があるのかもしれない。

1/28/2010

【IT】iPad


Appleから、タブレット「iPad」が発表された。自分は昨日の深夜から今日の早朝にかけて、ずっと情報を追いかけていた。何度F5キーを押したか分からない。

今考えていることを少し。

●買うか?

買う。多分、発売日に買う。

●3Gを付ける?付けない?

これが一番悩ましい問題だが、今は付けないつもり。
なので、Wi-Fiのみの16GBモデルを買う。
3G版はおそらくソフトバンクモバイルから6月頃に出ると思うが、3Gを付けると月々6000円払うことになる。
本体は$499なのに、この出費は高すぎる。iPhoneで十分だ。
もちろん通信料が破格の安値だったら考えるが、ソフトバンクモバイルに3G回線を安値で提供出来る余力があるようには見えない。

●そもそも何に使う?

米国とは違い、日本では電子ブック市場が遅々として広がらない。もはや日本語の電子ブック市場が広がるのを待つよりも、英語の電子ブックを読むしかない。
つまり、これを機に英語を習得する。これが一番の目的になる。
あと、今は家でiPhoneを使うことも結構多いので、Wi-Fiで色々なアプリを使う。


これとは別の話になるが、社会人になったらiMacを買おうと思っている。
iPhone+iPad+iMacのデジタルライフへの移行が、とりあえずの目標だ。

1/24/2010

【書評】最強の経済学者ミルトン・フリードマン---ラニー・エーべンシュタイン



タイトルの通り、経済学者・故ミルトン・フリードマンの障害を綴った伝記になっている。本人だけでなく、ローズ・フリードマンやフリードリヒ・ハイエク、ジョン・メイナード・ケインズ、ロナルド・レーガンなどフリードマンに関係する家族から経済学者・政治家とのエピソードが語られているため、フリードマンの思想よりもフリードマンがどのような環境で過ごしたのかが分かる内容になっている。

この本を読んでいた今週、フリードマンの故郷米国では興味深い出来事が二つ起こった。マサチューセッツ州上院選での共和党勝利と、オバマ政権の金融規制案だ。

フリードマンなどリバタリアニズムの思想に触れるまで、マサチューセッツ州で民主党が敗北する大きな要因になった、オバマ政権の進める米国の医療保険改革が進まない理由がよく分からなかった。保険会社の既得権を守るためだけかと思っていた(実際にそういった面もあるだろうが)。
しかし、米国の「小さな政府」を求める保守主義は個人の尊重や市場の効率性への信頼、政府への疑義など非常に厚い思想になっている。よく日本で批判される「市場原理主義」とか「強欲」などの汚く聞こえるものではないのだ。
また、「~原理主義」と言うと全て悪く聞こえるし、その定義もよく分からない。あと、資本主義で「強欲」を批判するのは宗教にしか見えない。

日本のマスメディアは民主党の小沢幹事長に対する東京地検特捜部の事情聴取に余りにも時間を割きすぎて、上記の出来事はおろかハイチの地震のことも報道しない。
米国での「小さな政府」「大きな政府」論争は日本にとっては他人事ではないと思うのだが。

1/21/2010

【書評】ハイエク―マルクス主義を殺した哲人---渡部昇一



「奴隷への道」を読む前に、そのエッセンスを記したという本書を読んでみた。「奴隷への道」が執筆されたのは今から66年も前の1944年だが、第二次大戦の最中にあってもハイエクは「個人の自由」がいかに重要かを考えている。

その個人の自由を侵害するものが、集産主義である。集産主義とは一般的には対照的に記述される共産主義と全体主義のことだ。「奴隷への道」は自由がいかに大切かを、集産主義への怒りで記している。そのことを本書が解説している。

本書についての評価は奴隷への道を読んだ後にしたいが、エッセンスを知るという意味では分かりやすかった。

1/20/2010

【日常】本を読むということ

ブログで書評をつけるようになってから、本を読む速度がかなり上がった。ここで一回、「本を読むこと」について自分なりに考えてみたい。

もともと、国語という教科は苦手だった。センター試験でも国語が一番正答率が低かったし、いま振り返れば国語が苦手だったから理系に進んだのかもしれない。
大学に入っても、すぐに本を読む習慣がついた訳ではない。ただ、「なかなか良いことが書いてあるから、読んでみれば」と父に一冊の本が渡された。それが、大前研一さんの「考える技術」

それまで大前研一さんのことは全く知らず、タイトルからすれば考え方のハウツー本にしか見えず、最初は興味を引かれなかった。自分の考え方を他の人に指図されることを毛嫌いしていたのだと思う。
それでも、「親から譲り受けた本だし・・・」と思って読んでみたら、いかに自分が甘かったかを思い知らされた。目から鱗の連続で、脳に高圧電流が走るかのように、世の中の見方を変えてくれた。

それから、色々な本を読み始めた。最初は自己啓発系が多かったと思う。それから、飲食店でアルバイトをしていたからサービス業に関する本なども読んだりした。そして、梅田望夫さんや佐々木俊尚さんの本を読んで、ウェブの世界にも興味が湧いた。技術のことよりも、どんなインターネットを通じてどんなサービスが実現出来るのかということについて、知るのが楽しかった。そしていまは、資本主義や自由主義、経済学などについての本をよく読んでいる。


本を読むことは、一種の授業のようなものだと思っている。自分は本に対して反論することは出来ないが、本は様々な知識や考え方を自分に提供してくれる。本の代金は授業料だと思えばいい。そして、色々な本を読むことでたまに正反対の主張などが出てくる。これが非常に面白い。自分の考え方を磨けるからだ。

あと、ときどき本当につまらない本にも出会ってしまう。無駄な授業料を払ってしまった気分になるし、なにより時間を無駄にしたと思ってしまう。そんなときは、「どうしてつまらないのか。」を真剣に考えることによって「自分ならこう考え、こう書く。」などを考えて授業料を取り返しにかかるか、授業料をサンクコストにするしかない。二つの方法のどちらにするかはその本の内容次第だが、学生であるいまは時間があるので前者を選ぶことのほうが多い。


これから先も、様々な本を読んでいくことになるのだろう。1年後にどんな本を読んでいるのか全く検討もつかないが、何か新しい本を読んでいることだけは確かだ。
そんな自分の些細な夢は、自分の部屋に巨大な本棚を置くことだ。

1/19/2010

【書評】サバイバルとしての金融---岩崎日出俊



極めて、まとも。外資系企業のM&A=ハゲタカという等式を頭のなかにもつ人がいたら、ぜひ読んで欲しい。

会社は誰のものか。
この問いに「株主や経営者、従業員、顧客などの利害関係者全体」と答えるステークホルダー型資本主義を、著者の岩崎氏は経営者の言い訳であり「村社会型資本主義」だと記している。
そもそも、日本の法律のどこにもそのような法体系は載っていない。会社はまぎれもなく、株主のものなのであり、経営者の使命は企業価値を上げることなのだ。そのための手段として、従業員の研修をしたり、顧客へサービスしたりするのだ。

本書は振り返ってみれば、資本主義の世の中ではごく当たり前のことが書かれている。そう思っていると、以前聞いた一つの言葉が頭を過ぎってきた。

資本主義は最悪のシステムだが、これ以上のものはまだ発明されていない。

確か、08年の金融危機の後に新聞かどこかに書いてあったものだったと思う。一字一句あっているかどうかは分からないが、本質をついた言葉だ。

1/18/2010

【書評】雇用崩壊---アスキー新書編集部



2009年4月10日に初版が出版された、そのとき物議を醸していた派遣切りや内定切りなどの「雇用崩壊」問題を論じている本である。
著者は民主党の衆議院議員から元「とらばーゆ」編集長まで7人いて、分量は新書で189ぺージのため、様々な視点から見れる反面、少し長いブログを読んでいるようでもある。

本書を読んでいて、一番目を引いたのが八代尚宏氏と安部誠氏のコントラストだった。元経済財政諮問会議議員の八代氏と、年越し派遣村実行委委員の安倍氏、と書けばどのような対称性かは分かるだろう。どちらを支持するかを問われれば、自分は八代氏を支持する。

不況期の雇用問題では、必ず「目の前のかわいそうな人を助ける」という大義名分から、ワルモノを懲らしめる勧善懲悪で問題を解決しようとする人が出てくる。
確かに、目の前の貧困を助けて、大企業を指弾するのはウケはいいかもしれない。でも、そういう「結果の平等」を求めることを社会主義という。

社会主義が「奴隷への道」であることは歴史が示した通りであり、日本はある面だけを見ればとても冷酷な資本主義の国なのだ。
自由よりも平等を優先する社会は、結果としてどちらも失うことになるのだ。


奴隷への道はフリードリヒ・A・ハイエクの著書の名称で、自由よりも~はミルトン・フリードマンの言葉である。

社会人になる前にちゃんと資本主義を勉強しようと思って、ハイエクとフリードマンの著書を購入したのだが、本書のようにコントラストを考えるというのは読書においてとても重要だ。なので、ハイエクにはマルクス、フリードマンにはケインズという対立軸で、様々な本を読んでいこうと思う。

参考:亀井金融相のメチャクチャな経団連批判 「ワルモノを懲らしめる」という「勧善懲悪」思考では、経済問題は解決しない---Zopeジャンキー日記

1/15/2010

【書評】傷つきやすくなった世界で---石田衣良



ある現象が名前という言葉を得ることによって、現実を加速させることがよくある。「格差社会」「勝ち組負け組」などの言葉を得た現象が、言葉を得た途端に現実を急加速させている。
格差社会の中で非正規雇用という負け組だけど、そうなったのは自己責任で、いつネットカフェ難民になるか分からない・・・ここ数年でよく聞く新語が現実をつくる傷つきやすくなった世界で、作家の石田衣良氏がエッセイを通じて、エールを贈る。

本書は「R25」の連載をまとめたエッセイ集。作家らしく、独自の視点と独自の言い回しで、タイムリーな話題を語ってくれる。

「打たれ強く生きる」も連載をまとめたエッセイ集だったため、本書と同様に一つ一つの話は字数に制限があった。
しかし、むしろその制約が話をコンパクトにまとめて読み易くしているし、城山三郎氏や石田衣良氏など書く側にとっても制約があるからこそ色んな選択肢の中から言葉を選んでいるのではないかと思う。

1/14/2010

【書評】戦後世界経済史―自由と平等の視点から---猪木武徳



高校生の頃、一番苦手だった教科は世界史だった。と、言っても1年生でしか履修していなかった(3年前くらいに、この事が問題になって後輩が期末試験後に1週間くらい集中講義を受けていた)が、理系に進むことを決めていたため、受験に必要ない世界史と生物はテスト前の付け焼刃の詰め込みで乗り切った思い出がある。

本書は世界史と言っても、「戦後」と「経済」に絞っている。それでも、新書にして400ぺージを超える分量であり、読み始めてから読み終わるまで足掛け10日もかかった。
自分の中学校までの学校教育における「歴史」は、主に出来事を年号や人物名でとにかく覚えていくものだったが、本書は人物名や出来事などの固有名詞をなるべく登場させず、副題である「自由と平等の視点から」読者にさまざまな歴史を問いかけてくれる。

戦後とは言え、対象は「世界」なので個々の事象に関しての記述は深いものではない。しかし、逆に言えばこの本を出発点にして歴史を考えていこうというキッカケを与えてくれている。

著者の最大の問い掛けは「自由」と「平等」という二つの理念はどのような形で両立されるのか、である。平等を追い求めた社会主義が戦後どのような経緯を辿ったのかは周知の通り(本書ではその理由もしっかり記載されている)だが、資本主義国家でも「法の下の平等」はなくてはならないものであり、二つのトレードオフをどうバランスさせるかの解は非常に難しい。

この本を読んで、もっと資本主義について(それとともに社会主義についても)考えてみたいと思った。ハイエクとフリードマンは、社会人になる前にしっかり読んでおきたい。

1/12/2010

【書評】打たれ強く生きる---城山三郎



amazonのリンクは文庫本だが、読んだのは父親から譲り受けたハードカバーの原著。なんと、自分が生まれた年に出版された本だ。
こういう古い本を読んで意味があるのかとも言えるが、本は自分が読んで情報を仕入れるものというより、逆に本の方から自分に語りかけてくれるものなのだと思う。

本書はエッセイ集で、昭和58年の日経流通新聞に掲載されていた「人生のステップ」+αで構成されている。
しかし、読んでいてそんな前に書かれたエッセイであることを感じることはほとんどなく、いま読んでも十分心に刺さる話ばかりだ。

一番心に残ったのが、「二つのとき」という話。

 稲葉さん(元産経新聞社 社長)はどう生きたか。
 「成るようにしか成らぬとはらをくくる。」
 絶望ではなく観念するのだ。
 ただ同じように難しい局面だが、
 あえて命がけでも挑戦すべき局面が、人生にはある。
 「いまここで立たなければ人生の意味はない。」
 
 「成るようにしか成らぬ」ときと「いま、ここ」というとき。
 この二つをはっきり見分けていずれも、
 はらをくくって対処してきた。そこに稲葉さんの今日が在った。

The Beatlesの「let it be」という曲があるが、これを初めて聴いたとき(たしか、中学校の英語の授業だった)は素直に「成るようにしか成らないのなら、努力の意味がないじゃないか」と思ったことをよく覚えている。名曲だと言われても、一種の「諦め」の曲だと思ったのだ。
しかし、「二つのとき」に出てくる稲葉氏は「成るようにしか成らぬ」ときは観念したという。

言うまでもなく、大事なのはこの「二つのとき」を見分け、使い分けることだ。おそらく、自分にもこれから色んな難しい局面が来るのだろう。そのときはこの話を思い出したい。

1/11/2010

【経済】「消費が嫌い」なわけではない。

ちょっと前に書店で「「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち」という本を見かけた。その時は買わず、今もamazonのほしい物リストに入れたままだ。

その「嫌消費」が最近ネットで少し話題になった。週刊ダイヤモンドに記事が載ったことが要因らしい。

「嫌消費」世代(2010年)-経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち

 「クルマ買うなんてバカじゃないの?」
 「アルコールは赤ら顔になるから飲みたくない」
 「化粧水に1000円以上出すなんて信じられない」
 「大型テレビは要らない。ワンセグで十分」
 「デートは高級レストランより家で鍋がいい」

80年代前半生まれの「バブル後世代」、つまり現在の25~30歳を松田久一氏は「嫌消費世代」と呼んでいるらしい。

それに対して、青木理音氏はこうブログに記している。

 今の収入を使いすぎない合理的な理由はいくらでもある。
 将来の収入が心配なのがその一つだ。
 今消費しないのは消費が嫌いだからではない。
 将来消費したいからだ。
 本当に消費欲自体がなくなっているなら
 収入に対する欲求も減るはずだが、
 収入に不満を持つ若者の数は増えている。

「嫌消費」なわけない---経済学101より抜粋。

また、狐志庵(ニックネーム)氏は「別の視点から」ということでこう記す。

 「贅沢」を目の当たりして、
 はじめてその贅沢に興味を持つのではないだろうか。
 誰かがしてるのを見ないと
 何がよいのかもわからないのではないか。
 そもそもその贅沢にかかる値段すら知らないのではないか。

見えない贅沢は想像できない---狐の王国より抜粋。

基本的には、青木理音氏の分析で間違いないと思う。青木氏もプロフィールからすると80年前半生まれかもしれない。

80年代前半生まれの人々の消費動向という視点は面白いが、「消費が嫌い」という結論付けには違和感を感じる。いま消費をしないのは、将来の収入に不安があるからであり、消費が嫌いなわけではないだろう。松田氏も将来不安には言及しているので、単純にネーミングの問題かもしれないが。

現在25~30歳の人々の将来不安を示しているのが、今の35歳の現実だ。これまた、まだ読んでいないのだが「“35歳”を救え」という本も話題になっている。これを書評したブログにはこうある。

 35歳に降りかかっている低所得化の現実と、
 それに起因して結婚できない人たちが
 増えている現実による少子化も重なり、

 日本全体として閉塞感が漂っています。
 将来は収入も上がりそうにないし、
 負担は増えそうだと考える人が多いため、
 将来に希望が持てないのです。

なぜ10年前の35歳より年収が200万円も低いのか-"35歳"を救え---投資十八番より抜粋。

25~30歳だけでなく、その上の35歳も将来に不安を抱えているのだ。これでは、「消費しない」ことは極めて合理的な判断に基づくものであり、もはや不思議でも何でもない。

ただ、もう一つ違う視点から考えてみれば「魅力的なものがない」とも考えられる。クルマ・テレビ・新聞などは、若者に買ってもらう工夫をしているのだろうか、とも思えてくる。個々で見れば、クルマは高性能・低燃費になり、テレビは大型化・高精細化、新聞は・・・(字体を見やすくした?)、と色々進歩しているのかもしれないが、それはあくまでの供給サイドの論理であり持続的イノベーションでしかない。つまり、若者がクルマ離れをしたのではなく、クルマが若者離れをしたという視点だ。
逆に、10年前の25~30歳はほとんど使っていなかったであろう携帯電話は人々の生活にとって必需品になっている。それは若者がケータイに近づき、ケータイも若者に近づいたからとも言えると思う。

このように、将来不安魅力的なモノが減ったことという様々な要因が考えられるため、25~30歳の消費動向は考えてみる価値がある。

1/10/2010

【経済】キヤノンMJの採用活動延期について思うこと

採用スケジュールに関する重要なお知らせ---キヤノンMJ

最近、キヤノンマーケティングジャパンが2011年の採用活動を一時中断することがネット上で話題になった。
上記の発表の要旨は以下のようなものだ。

 業績の見通しが立たず、
 2011年に新卒を採用する決定が出来ないでいる。

 なので、今までの見切り発車の採用活動は休止する。
 また、新学期がスタートする4月からの採用活動は
 学生から学ぶ機会を奪っているのではないかと思う。

 なので、1~3月期の業績を見た上で4月以降にお知らせし、
 採用活動は行うとしたら夏期休暇中にする。


これに対し、「若者はなぜ3年で辞めるのか」の著者で人事コンサルタントの城繁幸氏はブログでこう記している。

 ものすごくオブラートでくるんでいるけど、
 要するに先行きが不透明なので採りませんということだ。
 キヤノンだけ特別苦しいとも思えないので、
 これは単純に日本経済の見通し自体が
 相当ヤバいということだろう。
 キヤノン同様、ほとんどの大手企業は
 終身雇用死守を標榜しているから、
 同様に入り口を絞り上げてくるはず。 
 これから2階の椅子はどんどん減っていくだろう。
 「どうしても大手に入りたい!」という学生さんには、
 現状では可哀そうだけど諦めてねとしか言いようがない。
 日本型雇用というのはそういうものだから。

キヤノンマーケの採用担当者はそこそこ文才がある。---Joe's Labo

つまり、城氏は富士通の人事部出身なので「要するに採りませんということ」というのはやけに説得力がある。

民間企業が新卒を採用するかどうかというのはその企業の判断であり、自由だ。その判断基準はその時点での業績と今後の見通しであることは間違いない(CSRとかも一部関係あるのかもしれないが)。
よって、キヤノンMJの採用活動休止も発表文にある通り業績見通しが不透明であることが一番の理由になっている。

しかし、この発表が話題になったのはキヤノンMJが「従来の横並び採用活動」に疑義を呈したからだ。就職活動の早期化はもともと問題になっており、去年就職活動を経験した自分としては善し悪しはともかく目新しいことでも何でもなかったため、ハッキリ言って業績悪化の隠れ蓑に使ったとしか思えなかった。

就職活動の早期化の善し悪しの問題は置いておいて、少し考えてみるとキヤノンMJにとって、この時期にこの発表をすることはなかなか功名な戦略に思えてくる。

城氏の言うとおり、おそらくキヤノンMJは新卒を採らないだろう。
もしも、年明けからGWにかけて従来の採用活動を本格的にスタートさせてから、同じ発表するのでは風当たりが強くなってしまう。ならば、就活の早期化に疑問を投げかけるとともに、「出遅れます」とだけ発表しよう。と、なったのかもしれない。

真実はキヤノンMJの採用担当にしか分からないし、そもそも民間企業が新卒をとるかどうかはその企業の自由だ。
しかし、もし業績見通しが良かったら従来のまま採用活動をしていたのではという穿った見方をしてしまうと、客観的に見てなかなか上手い戦略だなと思った。

それともう一つ、これも良し悪しの議論は別にして今の大学生は就活がなかったとしても勉強しない、と思う。
どうすればいいのか、は再び置いておいてキヤノンMJが行うかもしれないように、他の全ての企業が夏季休暇期間に採用活動を行うとしても、夏に就活を控えた春学期に学生は勉強に身が入るとは思えない。むしろ、付け焼刃のTOEICとかを受けるようになって本来の自分の専門はないがしろになる可能性すらあると思う。

1/07/2010

【書評】ネットがテレビを飲み込む日



本書は2006年6月に発行されたので、月日としては3年半前になる。本としては決して古くはないが、「最近、YouTubeというアメリカのサイトが話題になっている」という記述を読むと急に大昔のことのように感じる。
そのくらい、情報通信技術の進歩は速く、人々の生活に浸透するのも速いということだ。

本書の第1章を執筆した山田肇氏は放送と通信の関係をウサギとカメに例える。その昔、双方向の通信と言えば電話であり「音声」を届けるのが精一杯だった。一方でテレビやラジオなどは一方通行の放送で、半世紀以上前の技術で音声だけでなく映像も届けることが可能だった。
その後、カメだった通信が急に速度を増した。それがデジタル化である。半導体・光ファイバーの技術の進歩、インターネットの商用化などで通信でも技術的には映像などを送れるようになったのだ。

しかし、身の回りの現状はどうだろう。技術的には可能であるにも関わらず、インターネットでテレビ番組のアーカイブなどを視聴することは出来ない。

これはなぜか。本書では、技術的に可能になった背景から著作権や新聞社・テレビなどのマスメディアの構造を解説している。

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小さい頃、自分の部屋に欲しくて欲しくてたまらなかったテレビは今やおそらく一日家にいても全く観なくて平気になってきた。それは他ならぬインターネットがあるからであり、RSSリーダーとTwitterで情報を集めているので新聞も読む必要がない。
そう思っていると、対称的なのは団塊世代の父親だ。父は毎日、日経新聞を読んでいるし夕食後はテレビを観ている。

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自分の家庭を一般論に広げるのは乱暴極まりないが、本書では父と同じ世代かその前後の世代の方たちがメディアについて論じている。
しかし、論壇に登場しない若い世代の間では既にメディア界の地殻変動は進行しているのかもしれない。

1/06/2010

【書評】フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略



理論経済学では、完全競争下では価格は「限界費用」まで下がることを知る。アトム(原子)の世界では製品の価格は限界費用で下げ止まるため、フリーはマーケティング手法の一つだった。その代表例がジレット・モデルだ。そして、インターネットが登場しビット(情報)が潤沢になると限界費用はほぼゼロに等しくなるため、新たな「フリーミアム」モデルや「非貨幣経済」が登場した。

350ぺージにも及ぶ非常に長い本だが、「フリー」の歴史や例、誤解まで様々な要素が詰め込まれていて中身は濃い。持ち歩くのは大変だが、ビジネスマンだけでなく多くの人が読むべき本だと思う。この日本でフリーに関わらない人など、誰もいないのだから。

全て読む時間がなければ、第16章の「フリーに対する疑念あれこれ」と巻末付録①の「無料のルール」を読むといい。おそらく自分も、再び本書を開くときはまずはこの2つを読むだろう。

1/05/2010

【書評】満員電車がなくなる日―鉄道イノベーションが日本を救う



自分は高校に入学したときから、電車を通学で日常的に使うようになった。大学時代は毎日使っている訳ではないが、おそらく4月からの社会人生活では通勤で再び日常的に電車を利用することになるだろう。
もしも現在住んでいる神奈川県藤沢市から東京の有楽町(内定先起業の本社がある)まで通勤することになったら、ほぼ間違いなくJR東海道線を利用することになる。「朝の東海道線上り電車」と言えば沿線に住んでいる人だけでなくとも「満員電車」であることは想像に難しくないどころか、もはや既成事実だ。

本書では、その日本の首都圏において既成事実化した「満員電車」を無くすための術を「運行方法」「運賃」「制度」の面から考察している。技術的な記載も多少あるが、鉄道イノベーションの入門書としては過不足なく記されていて読みやすい構成になっている。同じ交通のことを題材にした西成活裕氏の「「渋滞」の先頭は何をしているのか? 」と共に交通について考えるキッカケを与えてくれる本である。

著者の阿部等氏は敢えて書かなかったのかどうか分からないが、本書に記された鉄道イノベーションを実践するための一番のハードルはコストでもなく技術でもなく「既得権益」だと思う。
もしも物流の長距離トラックをモーダルシフトさせることが利便性の面から可能になったとしても、それによって失われる雇用の問題が大きくクローズアップされ、業界団体・労働組合などからの反発は必至だろう。

1/04/2010

【書評】ソニーをダメにした「普通」という病









ハッキリ言って、さっぱり面白くなかった。
だから、amazonへのリンクも張ってない。

著者の個人的な感情から来る偏見が多すぎて、「歴代の偉大な」経営者に媚びて、今の管理部門やその他日本企業を馬鹿にしているだけだ。
この本を読んでも、何がソニーを「普通」にしたのか、どうすればソニーは復活出来るのかは全くもって不明確だ。「普通」になった現象が羅列されているだけで、復活への処方箋も創業者が指揮をとっていた時代へのノスタルジーとしか思えない。

また、ソニーの学歴不問を讃え、東大卒は「使えない」と言うのなら、著者の言う「使用価値」をどうやって採用時点で図るのかを示して欲しい。
学歴を問わない、ということなら松井証券の松井道夫社長のように「縁故採用で何が悪い」と言って、その理由を述べるべきだと思う。

1/03/2010

【書評】仕事は5年でやめなさい。



タリーズコーヒーを日本に根付かせた松田公太氏の仕事観、といった内容。特に際立った考え方を持っているのではなく、エピソードもあまり充実していないため、素早く読み終わってしまった。正直、値段の割に内容は薄い。また、タイトルからして辛口なのかと思いきや、ですます調の丁寧な言い回しで肩透かしをくらった。

おそらく、起業エピソードなどは前著の「すべては一杯のコーヒーから」に書かれているのだろう。実はアマゾンマーケットプレイスで同時に注文したのだが、前著の方が在庫切れで届かなかった。どちらかと言えば起業エピソードなどを知りたいので、今度読んでみようと思う。

1/02/2010

【書評】人にいえない仕事はなぜ儲かるのか?



アンダーグラウンド経済の話というよりも、「税金」の話。門倉氏の持論である「支出税」も出てくる。
自分はまだ学生なので、所得税が掛かったこともなく年金もまだ払っていない。税金と言えば消費税なので、正直あまりピンと来なかった。

ただ、野球選手が個人会社と作る理由や長者番付に載る・載らないの仕組みは単純に興味本位で面白かった。
また、専門用語を用いても、その後に必ず分かりやすい例を記しているので読み易く、理解しやすい。

1/01/2010

【書評】スティーブ・ジョブズの流儀



新年、明けましておめでとうございます。

2010年も多くの本を読んでいきたいと思う。今まであまり読んでこなかった文庫・小説にも手を伸ばしてみたい。

今年の読了1冊目(読み始めたのは昨年)は世界で一番革新的な企業のCEO、スティーブ・ジョブズ氏を扱った本。時系列のドキュメンタリーではなく、スティーブ・ジョブズ氏とその周りの人々のエピソードを「流儀」ごとに記してある訳本。
原著にもあったのかどうか知らないが、各章の終わりに記してある「スティーブに学ぶ教訓」は蛇足だ。むしろ、エピソードを陳腐なものにしてしまっている。

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」はいま読んでいる途中なのだが、〈無料で手に入るもの・情報〉をどうやって人々にお金を出して買わせるのか?という問いに対するスティーブ・ジョブズ氏の答えはiPodのビジネスモデルにも象徴される「顧客体験」だった。ファイル共有ソフトを探し回る代わりに、iTunesStoreで手軽さ・質・信頼性という価値を提供するのだ。
これは現在「フリー」に悩む企業にとって多くの示唆を与えるのではないだろうか。(すべての企業にとってフリーが戦略的な意味を持つ、という話は「フリー」を読んだ後に。)



個人的にはスティーブ・ジョブズ氏と言えば、プレゼンテーションが印象的だ。そもそも外国人のプレゼンテーションはあまり見たことないが、NTTドコモの山田社長やソフトバンクモバイルの孫社長の新製品発表会とは比べ物にならない。