10/31/2009

【日常】First Impression

最近、改めて思うのが「第一印象」の重要性だ。言われてみれば当たり前だが、逆に言うと意識している人は少ないと思う。「人は見た目が9割」なんて本も出ていたが、同じように第一印象もかなり大切だろう。
就職活動や、接客の仕事などはコミュニケーションをとる時間が短いので、第一印象が全てと言っても過言ではない。会社の同期や、学校のクラスなど、長い付き合いになる人に対しても、第一印象は重要だ。自分の近くの誰かの第一印象は思い出そうとすればすんなり思い出すのではないだろうか。

第一印象は非常に重要だ。しかし、このことを意識している人は多くはない。そこに、チャンスがある。

10/29/2009

【IT】Augmented Reality

最近、「AR=Augmented Reality、拡張現実」という言葉が気になる。

ネット上の情報と現実世界とを融合させる技術やアプリケーションのことを言う。iPhoneのセカイカメラなどのアプリケーションがよく例に出されるが、非常に興味深い技術だ。
セカイカメラはDLはしてあるがまだちゃんと使ってはいない。おそらく実用化されてくるのはまだまだ先のことになると思うが、ケータイの次のキラー・アプリケーションになるのではとも思える。また、自動車などにも応用できると思う。

そもそもまだARというものをよく理解できていないので、これから本などで学んでみよう。

10/28/2009

【NEWS】マネックス証券とオリックス証券が合併へ

[ネット証券合併]マネックスとオリックス証券 業界2位に---livedoorニュース

2日連続で金融業界の再編ニュース。昨日の住信・中央三井の経営統合も、将来的には合併して「中央三井信託銀行」となるらしいが、こちらは来年5月に合併だ。

自分の周りの学生には「経営統合」のニュースでも「合併」として認識する人が多い。外から見たら同じようなものだが、中身は全く異なる。

(経営統合も合併も経験したことのない、というかまだ学生の自分の認識では、)2世帯住宅に2世帯がそれぞれ住むか、ひとつ屋根の下に2世帯がルームシェアで同居するか、という違いを想定している。
(社)外から見たら一つの家(企業)だが、住ん(働い)ている人にとっては全く別のものだろう。

【書評】若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来



およそ3年前に流行った本書を読んでみた。この本が売れた大きな要因の一つはタイトルのセンスだと思うが、内容は「年功序列制度の限界」だ。

中高年が自分の既得権を守るために、これから雇用される若者の未来を踏み潰しているというのは初めて耳にすることではない。本書では年功序列制度を頑なに守り続けることを悪とし、若者の感情に訴えている側面も見受けられるが、中高年が既得権を守ることは自身の経済合理性から言って「当たり前」だ。
問題は中高年が既得権を守ることによって生産性を失ったゾンビ企業が政府支援などによって延命されることによって、外からも既得権が保護されてしまうことにあると思う。

10/27/2009

【政治】開店休業状態の国家戦略室

JALの支援機構活用を決定する立場にない=菅国家戦略相

新政権の目玉の一つであった「国家戦略局(室)」が開店休業状態だ。JAL問題は前原国交相、予算は藤井財務相、郵政は亀井金融・郵政担当相、外交は鳩山総理で出る幕がない。

形骸化していたと批判される(民主党自身も批判する)、自民党時代の経済財政諮問会議よりも影が薄い。JAL・郵政・外交はともかく、予算策定の舵取りを担っていないからもはや存在意義がない。そもそも、実務的な役割分担がはっきりされていなければ、政権にも「名ばかり管理職」が出来るのだ。

【NEWS】住信・中央三井が統合・信託トップへ

住友信託・中央三井が統合 11年春めど、信託トップに---NIKKEI NET

久々に驚くニュースだ。住信と中央三井が経営統合して、三菱UFJ信託を抜く国内最大手の「メガ信託」が誕生する見通しになった。素直に思うのが、「三井」と「住友」の親密さだ。
これで、銀行も損保も信託も「三井住友~~」となる。さらに、三井住友FGは日興コーディアル証券と日興シティグループ証券の一部を買収、三井住友海上グループホールディングスはあいおい損保・ニッセイ同和と経営統合と、ここ最近の金融再編の主体になっている。

どの報道でも「規模拡大で経営基盤を強化」という文言が使われる。だが、一端「規模」求めてに三井と住友がくっついたら、その後は後戻りできずに規模を追求せざるを得なくなっているようにも思える。

残りは生保か、という話も聞こえてきそうだが、住友生命は相互会社で三井生命は株式会社なので直ぐに統合とはならないだろう。ただ、住友生命が「株式会社化、と同時に三井と統合」なんてことはあり得ない話ではない。日本生命が「しばらくは相互会社」という姿勢なのに対し、住友生命・明治安田生命は「選択肢としてあり得る」としている。

【書評】老いてゆくアジア



タイトルだけで衝動買いしてしまったが、内容は目から鱗だった。

アジア、特に東アジアがこれから高成長するのは間違いない。しかし人口構成から考察してみると、東アジアの国々はかつて日本も経験した「人口ボーナス期」にあるということが成長の大きな要因になっている。この人口ボーナス期が永久に続くことはあり得ず、いずれ高齢化の進展によって国内貯蓄率が低下し、高水準の成長は困難になる。

本書が秀逸なのは、「生産性」の観点から中国やASEAN4(タイ・インドネシア・マレーシア・フィリピン)の高齢化に警鐘をならしている点である。これらの国では中高年の生産性が低く、人口ボーナス期が終わりに近づき生産性を上昇させることで成長を維持すべきときに、中高年の生産性の低さが足枷になる可能性があるのだ。

著者は最後に、

高齢社会そのものは「問題」ではない。高齢社会は長寿を可能にした社会であり、それ自体は繁栄の賜物である。「問題」は今後急速に増えていく高齢者に対して、安心して暮らせる社会を確立できるかどうかが不透明なことにある。

と述べている。これは、日本固有の問題ではなく、アジア全体の問題なのだ。

10/24/2009

【書評】反貧困―「すべり台社会」からの脱出



この本を読むまで、貧困問題の敵は「自己責任論」だと思っていた。何もかも「自己責任」で片付けられてしまうことが、貧困問題の本質を見えなくしてしまっているのではないか、と。だが、本当の敵は「無関心」だったことが本書を通じて理解できた。

一人でも多くの人に、貧困への無関心から抜け出してもらうために、この本はある。また、貧困は自己責任ではない。逆に言えば、充実した生活は自分ひとりの力のみによって築かれたものでもない。

貧困は日本にも存在する。にもかかわらず、日本社会の問題であるというコンセンサスがないのは実体が明確に把握されず、安易な自己責任論によって見えなくされてしまっているからだ。

まずは貧困問題をスタートさせること、そして「何が問題なのか」を真剣に議論することが必要だ。真の原因が分かれば解決策自体は二の次なのだ。

【経済】続・2011年新卒採用

明日(日付としては今日)、説明会の手伝いに行ってくる。話をする相手はまだ就職活動をスタートさせたばかりの後輩学生なので、先輩として有意義なアドバイスをしてあげたい。

少し、何を話そうか考えてみて思い至ったことは「その企業が何をしているのか」をシンプルに考えること、だった。就職活動はどうしても営業・企画・開発・マーケティング・運用など、「自分がどう働くか」を考えがちだが、もっと大局的に企業がしているビジネスを考えてみることが必要だと思う。
生保なら「契約者から保険料を集めて、運用し、配当金・保険金をお返しする」という具合に考えてみて、そのビジネスを自分がしたいかをマッチングさせてみる。そうすれば、何を学ばなければいけないかも見えてくるし、見えなかった仕事も自分で思いつくだろう。

就職活動をしている当事者になると、本当に細かいことを気にしてしまう。SPI、エントリシートの細かい文言、面接での礼儀作法、服装などを気にしてしまいがちだが、本当はそのような細かいことは関係ないだろう。自分も「御社」とか慣れない言葉は全く使わなかった。

無責任に聞こえるかもしれないが、「楽しむ」ことも大切だと思う。説明会などで隣の学生に話しかけるとか、知らない人と話すことが就職活動そのものなのだから、人と話すことを楽しめる人にいい結果が回ってくるのだろう。

10/23/2009

【経済】2011年新卒採用

今週と来週の土日で、内定先企業のセミナーに内定者として手伝いに行くことになった。現在大学3年(院1年)の人たちに自分の経験などを話して、質問に答えるといった感じだ。

人事部の人の話によると、今年の就職活動は「過熱気味」らしい。いわゆるリーマン・ショックは去年の9月15日で、そこから景気が悪くなり、底を打ったと言われてもまだまだ水準自体は低く、失業率は過去最高、有効求人倍率は過去最低。こんな状況の中での就職活動に対して焦らない人はよほどニュースを見ていないか、ただのオプティミストだろう。ただ、一番焦る要因になるのは周りの友人の「就活やってる」姿だと思うが。

こういう状況の中で、就活生が聞きたいことは「どんな企業に入るべきか」よりも「どうやって内定を得るか」なのかもしれない。その答えは「面接時の笑顔」くらいしか思い浮かばないが、それよりもまず「焦らなくていい」ことから説明してあげたい。

10/22/2009

【書評】電波利権



電波利権というタイトルなので、政府・テレビ局・新聞社の「談合システム」的なことが暴かれると思ったが、中身は「電波の仕組みとそれに関わる利権」とった内容で中盤は電波の仕組みの話がほとんどである。

そもそも、今やテレビ局の既得権を追及することに意味がなくなっているのかもしれない。本書が執筆されたのは4年前の2005年だが、
執筆時点の技術レベルに対して、インターネットに関しては飛躍的に向上しているが、テレビの進歩は亀のようにのろい。
テレビ局が既得権を守ろうとしている間に、自由なIPの世界に人々の関心が移ってきたら、テレビ局はコンテンツプロバイダーとしてしか生きてゆけなくなる。本書ではテレビ局のコンテンツ制作能力に関して一定の評価を与えているが、公約数を掛け合わせたような大衆迎合的な番組を作るしかないテレビ局のコンテンツはIP時代にも価値があるのだろうか。個人的には見ていて価値があると思える番組は非常に数が少なくなってきている。

10/21/2009

【経営】小売業の新陳代謝


昨日のガイアの夜明けのテーマは「格安の激震 第2波 ~百貨店・スーパー大転換~」だった。百貨店・GMSの苦境は様々なメディアを通じて伝えられているが、いまやどんな業態でも価格競争が激化している。つまり、水に顔を沈めて何分耐えられるかのチキンレースになっていると感じていた。

昨日の番組の中で、ドン・キホーテが買収した長崎屋に送り込んだ副社長は「綺麗に陳列すればするほど高く見える。雑に積めば積むほど安く見える」と語っていた。なるほど、安くした商品を顧客に見せ、手にとってもらい、買ってもらう道筋までしっかり考えているなと感じた。また、ドン・キホーテでは売り場を売り場と言わず「買い場」と呼ぶそうだ。

ユニクロのファースト・リテイリングCEOの柳井正氏も「安いだけでは売れない」と言っていたが、このように価格を下げつつ、さらにその先まで考えられる企業が新陳代謝を促すのかもしれない。

10/20/2009

【書評】生命保険のカラクリ



本書はライフネット生命の副社長である岩瀬大輔氏による「業界に染まる前の新鮮な感覚で執筆した生命保険入門」だが、結論としては「かしこい消費者は割安な保険(≒ライフネット生命の保険)に入るべき」となる。著者の立場からすれば当然といえば当然だが、既存の生保を徹底的に批判しているかと言えばそうでもないので隔靴掻痒の感もあり、うがった見方をすれば本書こそ「消費者を煙に巻いている」とも言える。

さらに、「ネット生保にデメリットが一切ないとは言えない」と言いつつも、その理由は「対面販売にも価値がある」という既存生保のメリットになっているので、これがまたもどかしい。カラクリの本なので、記する必要もないかもしれないが、メリット・デメリットを分かりやすく比較してくれた方がもっと良くなる。

【Mobile】iPhoneに詰まっているもの


iPhoneを使って1年3ヶ月ほど経った。最近は電車の中などで使っている人を良く見る(一部はiPod touchかもしれないが)。ニンテンドーDSやPSPをやっている人よりも多い気がする。DSやPSPは電車の中でしか見ないし(駅のホームや歩きながらやっている人はほとんどいない)、そもそも両手じゃないと出来ないから比較するのもおかしいが。
そして、使用しているほとんどがビジネスマンやOLだ。高校生で使っている人はほとんど見ない。スケジュール管理や情報収集に便利な反面、モバゲータウンなどのケータイサイトが見れないことや絵文字を使ったメールが不便なことがその理由の一つだろう。

自分のiPhoneにはアプリケーションによって様々な機能が詰まっている。スケジュールは「さいすけ」でGoogleカレンダーと同期しているので、今は手帳を持ち歩いていない。知らない場所を歩いて迷ったには、「マップ」とGPSでどこへでも行ける。情報収集も「Byline」でGoogleリーダーと同期しているので、スキマ時間にも簡単に出来る。PCに来るメールも「Gmail」を閲覧できるので、電波さえあればいつでもどこでも確認できる。勉強するときには見やすい時計「Night Stand」を前に置いている。天気は「weathernews」で確認。amazonのサイトもiPhone用に最適化されているから、本屋ではamazonのほしい物リストを見ながら本を探している。そして、外では常に「iPod」で音楽を聴いている。

自分にとってAndroidの無い生活は可能だったが、iPhoneの無い生活は不可能だ。月々の料金は高いが、十分楽しませてもらっている。

10/19/2009

【IT】WindowsとMicrosoft


まもなくWindows7が発売される。予約もしてなければ、特に買う予定もない。次にPCを買うときは7にするだろうけど、そもそもOSに大きな期待をしなくなっている。メールはGmail、スケジュールはGoogleカレンダー、情報収集はGoogleリーダー、マインドマップはmind42などなど、Googleを中心に様々なWebサービスの恩恵を受けていると、OSのバージョンはもはや何でもよいのだ。

ただ、Microsoftは個人的には思い入れのある企業だ。就職活動を通じて何人かの社員の方とお話したが、リテール営業の部長が言っていた言葉が忘れられない。

私は世の中には2種類の人間がいると思っている。大きな企業で働くことに喜びを感じる人と、企業を大きくすることに喜びを感じる人。どちらがいいという訳ではないが、現在のこの会社(MIcrosoft日本法人)には後者の人がもっと必要だと思う。

この言葉を聞いたとき、いまの自分は前者だなと素直に感じた。そして、MicrosoftやHewllet-Packard、Appleなど外資系の社員の人たちは日系企業の人よりも会社のことが好きだと感じた。逆説的だが、終身雇用や年功序列がない外資系の方が社員は会社を好きになり、その会社に独特の個性・文化が生まれるのだ。もちろん、サンプル数が少なすぎるし一概には言えないが、日本経済は雇用をもっと流動化した方がいいのは間違いない。

10/18/2009

【書評】希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学



著者のブログによれば、学生街や大学生協などでこの本は売れているらしい。そこで買った人々と自分は同世代で、もの心ついた頃から平成不況なのでバブルを体感したことはない。日経新聞では「低温世代の経済学」というタイトルで特集連載が組まれていたりした。

本書では、日本経済に流れる通説についての誤解が解かれている。そして安易に「新興国開拓」と言わずに、「労働生産性の上昇率が低下」「労働市場の硬直化」にスポットライトを当てている所が秀逸だ。

最近は経済学の本を読むことが多いが、経済学は非常に難しい。下人と結果が混同することもしばしばだが、だからこそ面白い。

【映画】私の中のあなた


2週連続で映画を観た。今回は「私の中のあなた」だが、観終わってもタイトルと内容が自分の中で噛み合わなかった。台詞として出てくる訳でもなかったので。でも、家に帰って画像を探していたらその理由が分かった。日本では「私の中のあなた」というタイトルだが、英語版では「my sister's keeper」となっているのだ。これを直訳すれば「私の姉を守る人」となる。おそらく、映画を観る前に変な先入観を与えないために、わざとこういう日本語のタイトルにしたのだろう。このような訳は洋画ではよくあることなのだろうか。

映画の中身の方は、回想シーンを中心に構成されているので新鮮だった。感動を呼ぶ奇跡が起こるわけでもないのだが、その方がリアルで色々感じさせられる。



10/15/2009

【経済】国家戦略室メンバーに湯浅誠氏

戦略室に「派遣村」の湯浅氏起用へ---NIKKEI NET

国家戦略室のメンバーに「年越し派遣村」を開設した湯浅誠氏を起用する方針になった。湯浅氏の提言などを受けた政府がどんな政策を打ち出すかが一番重要だが、そういえば湯浅氏の著書を読んだことはなかったので、今度読んでみたい。

「貧困」という状況に自分は生まれてから24年間陥ったことがない。しかし、貧困や格差について考えるときには「かわいそう」とは思わないことにしている。テレビ・新聞がいくら「派遣切り」「派遣村」を報道しても問題が解決しないように、起きた現象に感想を述べても何も解決しないからだ。
つまり、現象を知り、現象を生み出した構造を理解し、解決策を考えることが重要なのだ。つい解決策を考えることを先走ってしまうが、それだと「経済成長(景気回復)しかない」という短絡的な話になってしまう。もちろん、経済成長も必要なのだろうけど「成長は全ての矛盾を隠す」ので、もっと本質的な構造問題を考えなければならない。

話は変わるが、「成長は全ての矛盾を隠す」というのはダイエー創業者の故・中内功氏の「売上は全てを癒す」と同義だろう。この言葉の裏にある意味を真剣に考えなくてはならない。

10/14/2009

【経営】週末農業は続くのか

最近、メディアで農業が取り上げられることが多くなった。そのほとんどが農地レンタルや週末だけ畑に行く、などの「今まで農業に関わってこなかった人でも手軽に農業が出来るようになった」というような、農業へのハードルが下がってますよ、という打ち出し方だ。

正直、「これ、続くのかな?」と思う。続く人と続かない人がいるだろうが、一過性のブームである気がしてならない。

9月の連休に長野の親戚の家にお邪魔したが、そこでも畑を持っていて農業をやっていた。そこで感じた「週末農業」との圧倒的な違いは、もはや農業が生活の一部であり切っても切り離せない存在になっているということだ。逆説的だが、ずっと農業をやっている人々のほうが「農業をやっている」とは考えておらず、習慣であり日課であり無意識なのだ。

自分は農業には全く無知だが、傍から見ても「継続」が一番重要だと感じる。週末農業は継続できるのだろうか。

【書評】ウェブは資本主義を超える 「池田信夫ブログ」集成



著者の新刊「希望を捨てる勇気」を購入したので、少し前に購入していた本書を読んでおいた。Googleやクラウド・コンピューティング・Web2.0などの本を買い漁っていたときに購入したのだが、タイトルに惹かれずに読まないままで放置していた。こういう大それたタイトルの本は大抵、ネット礼賛で終わるだろうと思っていたので遠ざけていたのだ。
しかし、読み終わってみてもっと早くから読めばよかったと感じた。いわゆるリバタリアンの著者の主張は、バックグラウンドがないこともあり一貫していて明快だ。中でも秀逸なのは、情報通信産業では需要や技術革新が不確実であるため、有望な事業を損なうリスクを軽視してはならない、という点だ。製造業のような品質管理による不良品リスク低減よりも、様々な事業に分散投資することで将来大きく成長する芽を奪うリスクをなくすべきだと説く。

行動経済学でも実証されているように、人間は「手に入ったかもしれない利得」には極めて鈍感であり、目の前の損失を回避しようとする。しかし、「何が成功するかは分からない」という前提を自明とすれば、後は分散投資で損失回避性を堪えるだけである。

10/13/2009

【政治・行政】日本の航空行政

成田空港を即刻廃止せよ---堀江貴文オフィシャルブログ

メディアでは毎日のように日本航空(JAL)の経営再建問題が取り上げられている。それに付随して、日本の航空行政も俎上に上がるのだが、個人的にはJAL単体の年金や労使問題よりも、航空も含めた日本の交通行政を議論すべきだと思う。

交通機関は主に業種別に3つに分けられる。その3つとも議論すべきことが多い。
●航空・・・羽田の拡張、それに伴う成田の役割、関空の立ち位置、造りすぎたと言われる地方空港
●道路・・・高速道路の無料化、首都圏の3環状道路の整備、タクシー規制
●鉄道・・・リニア新幹線
厄介なのは、この3つ(海運も入れれば4つ)が複雑に絡みあっているということだ。アッチを立てればコッチが立たず、レガシーコストは膨らみ、結局ニワトリタマゴの話になってしまう。
最終的にどんな結論をだすにせよ、それが一人(企業、地域)ひとりにとっても最適な結論であることは不可能なのだ。結論が全体最適であるためには、その結論に至るまでの経緯の透明化や説明責任が重要になる。

【IT】ストックとフロー

最近、情報に対してはストックとフローという考え方を用いている。
RSSリーダーで読むニュースサイトやブログ、新聞・テレビなどを基本的にフローとして扱い、基本的に処理を後回しにはしない。
しかし、ただ受け流すだけでは無意味なので、より深く考えたいことについては、ストックとしてRSSリーダーの中でチェックしたり、本を読んだり、こうして自分のブログで見解を書くようにしている。

ポイントは「何をフローからストックに格上げするか」であるが、明確な線引きは全くなく直感に頼っている。以前、伊藤洋一氏がPodcastの中で「新聞記事は自分の専門でない、知らない記事を読むことに意味がある」と言っていたが、なるべく知らなかったことをどんどん吸収していきたいと思っている。

10/12/2009

【経済】責任の重さ

最近、何かの問題につけて「責任」という言葉が目につくようになった。

●金融危機ではサブプライムローンが証券化を繰り返され、投資家に転売されたことによって、「責任」の所在があいまいになった。

●(少し古いが)「納豆ダイエット捏造」問題は、民放番組はテレビ局から下請け・孫請け・曾孫請けと多段階に細分化されて制作されるため、「責任」が分散していた。
●学校の教師から子供の万引きを捕まえた小売店に理不尽なクレームをつける無「責任」なモンスターペアレントが急増している。

など、責任の所在のあいまいさや責任感の欠如なども一因となった問題だろう。責任の所在は基本的に明確にすべきだ。しかしモンスターペアレントの問題で、例えば「子供のしつけは親、学力は先生」などと責任の所在を明確にすればどんなことが起きるかは書くまでもないだろう。つまり、
責任の所在を明確にすることと、自分の責任の範囲を限定することでその他に関しては他人に押し付けることは表裏一体である

また、花王に救われた消費者庁と消費者委員会ー松永和紀blogというエントリーでも指摘されている日本人の「ゼロリスク志向」(無謬信仰)がこの問題を助長している。なにか問題が起こり、責任が追及される際に「完璧でなければならない」という感情的スタンスで責任を追及しようとすると、かえって本質を見誤ってしまう恐れがある。
少し前のBSE問題でも、科学的にリスクは日本人の人口に対して0.1~0.9人とされていたのに「リスクがゼロではない」という理由で農水省は輸入禁止措置をとった。

基本的に、責任の所在はハッキリしていて、各人も責任感は強い方がいい。しかし、責任の所在を明確にすることの副作用や、感情的に「ゼロリスク志向」に陥る危険性も、「責任」問題では十分考慮されるべきなのだ。

10/11/2009

【書評】金融大統合時代のリテール戦略―銀行・証券・生保・カードがひとつになる



父から著者の講演の資料を見せてもらったので、理解を深めるために読んでみた。著者は日銀出身なので本書でも「銀行」からの視点が貫かれている。そのため、欧米の銀行に関する知識は豊富だ。

いま日本の銀行、主に3メガバンクのリテールは岐路に立たされていると感じる。規制緩和が進み、投信・保険が販売出来るようになった後は、顧客(富裕層)の奪い合いになる。これは、端末に対する新しいキラーアプリケーションがなくなり、普及台数も頭打ちになって顧客を奪い合っている携帯電話業界と相似している感がある。携帯業界はただ純増数を増やすことが至上命題になってしまい泥仕合になっているが、銀行業界も泥仕合にならないためには、著者が言う「カスタマーパフォーマンス」を争うようにならなければならないだろう。

【書評】「渋滞」の先頭は何をしているのか?



昨日は、藤沢~青葉台~有楽町~六本木~横浜~藤沢と車で走ったが所々で渋滞に遭った。その度に思い出すのが本書で、なぜ渋滞が発生するのかといったメカニズムや、渋滞解消のための提言をまとめている。また、交通以外での「渋滞」現象についても述べられているが、渋滞を「避ける」ような小手先のテクニックなどは述べられていない。

著者は渋滞学というそのままのタイトルの本も執筆しているが、目次や出版年月を見る限り内容の重複が多そうなので、最初から上記の親書で十分理解できる。

渋滞学という新しい学問を提言する著者は、分野横断的な研究の重要性をあとがきで指摘している。これは非常に同感だ。知的好奇心に関しては、選択と集中はすべきではないと思う。

10/10/2009

【映画】引き出しの中のラブレター


引き出しの中のラブレターを観てきた。今日が公開初日で、キャストの舞台挨拶のチケットがたまたま手に入ったので、朝10時に有楽町へ。

映画は、心温まるストーリーでとてもよかった。「ラブレターの宛て先の人がラジオを聴いてなかったら意味がないのでは?」というシーンがあったが、自分は赤の他人の赤の他人へのラブレターでもラジオを聴く人には何も与えないとは思わなかった。というか、そう思いたいだけだが、これが「ラジオの不思議な力」なのだろう。

映画は誘われたら行く、くらいで自分からあまり映画館に足を運ぶタイプではないのだが、映画は好きな方だ。DVDなどもあまり観ないのだが、その理由は自分の中で3時間近く時間をとられると感じると気が進まないだけなのだろう。「月に何本観る」とか決めて、必ず観るようにすれば、自分のスコープも広がるだろう。

【NEWS】ノーベル平和賞はオバマ大統領に

ノーベル平和賞にオバマ大統領・・・Reuters

2009年のノーベル平和賞が米国のオバマ大統領に授与されることが決まったが、このニュースを見たときは少し笑ってしまった。ノーベル平和賞が少し陳腐なものになってしまったな、と思ったからだ。

オバマ大統領は「ノーベル平和賞を受賞しなくても」核軍縮に取り組んでいることは誰もが知っているのだ。実際に自分も何度も「核なき世界」という言葉を目にした。だからこそ、あえてノーベル平和賞を授与する必要を感じない。世界的には全く無名の人の活動、もしくは著名人でも「実は」こんなことに取り組んできた(ゴア元米副大統領のように)という
人、などに与えて欲しいと思う。ノーベル賞はオリンピックの金メダルのように、一番の記録を出した人に自動的に与えるものではないのだから。

【経営】選択と集中は正しいのか

「選択と集中」という言葉がもてはやされているが、この現状にかなり違和感を感じる。確かに、何でもかんでも闇雲に手を出すべきではないし、経営資源を集中させて差別化を測ることはマーケティング戦略上も有効だろう。しかし、「柔軟性」を失ってはならないと思う。「変化への対応」と言えばまた巷でよく聞く言葉なので使いたくないが、何かにフォーカスするということは何かを捨てることと同義だが、環境が変化した場合にはフォーカスした事業でさえも捨てられる覚悟をしておくことが必要だと感じる。

そもそも、企業活動の何を「選択と集中」するのかが大切だ。事業そのものなのか、地域なのか、顧客ターゲット(年齢層・性別・趣味・職業・・・)なのかなど、選べるオプションは非常に数多い。その企業によって、その時の環境によって、最適解は変わる。いろんなケースを見ながら、これからも何が最適なのかを自分なりに考えてみたい。

そういえば、リサ・パートナーズの社長:井無田敦氏は「選択と分散」を掲げ、自分たちはあえてリスクを分散させていると語っていた。安易な「選択と集中」は結果として自らの首を絞めることになりかねない。

10/09/2009

【書評】超ガラパゴス戦略―日本が世界で勝つ価値創出の仕掛け



正直言って、なんでアマゾンでこんなに評価が高いのか分からない。自分の頭が弱くネガティブなのか、アマゾンに書評を投稿している方と評価の軸が違うのか。

というわけで、読んでもスッキリしない内容だった。供給サイドから見た話や、希望的観測が多く、首をかしげながら読んでしまった。例えば、「日本の製品はもっと評価されてもいい」というのは日本人には勇気を与えるかもしれないが、これは所詮「供給サイドの願望」でしかない。シェフが最高の食材を使って一生懸命頑張って作った料理が不味かったときに「もっと評価すべき」と第三者が言っても「その通りだ」と思う消費者はいない。最高の製品が一番評価されるのではなく、一番評価されたものが最高の製品なのだ。
また、「日本の消費者は世界で一番品質に対して目が肥えている」という前提がしばしば使われているが、なぜ日本でこれが定説化しているのだろうか。「そう思いたい」とみんなが思っていた感覚が、いつの間にか既成事実化しただけではないか。直感的に平均的な日本人が品質にうるさくないとは思わないが、これは「ものつくり信仰」と同じで非常に危険な定説だ。

10/08/2009

【IT】Winny開発者に逆転無罪

ウィニー開発者に逆転無罪・・・NIKKEI NET

Winnyの開発者に大阪高裁が逆転無罪判決を下した。この問題は米国での銃規制と関連して考えられる問題だと思う。一審での判決が出たときか、逮捕されたときか忘れたが、とあるブログで「Winnyは包丁なのか、拳銃なのか」という観点から考察したエントリーがあった。簡単に言うと、
「包丁と考えれば、料理をするという目的で作られているが、人間を傷つけることにも使える」
「拳銃と考えれば、もともと人間を傷つけるために作られ、人間を傷つけることのみに使う」
という視点だ。このブロガーの方は「後者であり、クロだと思う。」と書いていた記憶がある。

この点をもう一歩進めて考えてみる。拳銃だと考えた場合、次には「作った人(≒拳銃そのもの)が悪いのか」「使う人が悪いのか」という問題に当たる。ここが米国の銃規制と共通する問題で、米国では銃規制賛成派は前者で「銃が人を傷つける」と主張し、反対派(全米ライフル協会など)は「十ではなく、人が人を傷つける」と主張する。この疑問の答えは人によって違うだろう。(銃が規制されている日本では、前者の立場が多いと思うが。)

今回の判決では
著作権を侵害する用途に利用される可能性を認識していただけでは、ほう助犯は成立しない
とした。Winnyを拳銃だと解釈しても、
「人を傷つける可能性を認識して拳銃を開発するのは、傷害or殺人事件を手助けしたことにはならない」
ということだ。

この問題は非常に難しく、自分の中でもまだ全体最適となる答えを見つけることが出来ていない。そもそも、拳銃はリアルで扱うものだが、Winnyはソフトウェアなので複製し不特定多数に配ることが容易だ。著作権という権利やそれを守る法律が現代のデジタル・ネット社会と噛み合っていないということも、問題を複雑にしている。

色々な文献・事例を通じながら、これからも考えていきたい。

10/07/2009

【書評】「法令遵守」が日本を滅ぼす


「法令順守」はあくまでも手段であって、法令を守ることが目的ではない。当然、だからと言って法令を破っても構わないとはならないが、大切なのは法令の背後に必ずある「社会的な要請」を理解し、それに応えることだ。JR福知山線の脱線事故の際の病院の対応(被害者の安否を知るために病院に電話した家族に対して「個人情報」として病院側が安否を伝えなかった)などは、法令を順守していても社会的な要請には応えきれていない典型例だ。
また、ラーメン屋vs.マクドナルド―エコノミストが読み解く日米の深層の著者:竹中正治氏も指摘していたように、日本人には「無謬信仰」とも言うべき「完全無欠でなければダメと」いう風潮があるようだ。その風潮が問題の発覚を遅れさせる場合もあるだろう。

上記2つの著書とも「失敗学」の創始者、畑村洋太郎氏の考え方を汲んでいる。失敗学のすすめは数年前に読んだが、改めて読んでみようと思う。
また、両書ともマスメディアの姿勢を程度の差こそあれど批判している。マスメディアが日本の悪い風潮を助長している、という姿勢だ。当然、このような視点はマスメディアを一歩引いて客観的に見なければ生まれない。マスメディア・インターネット・文献・口コミなど、様々な情報源を駆使して、自分も深い洞察力を身につけていきたい。

【書評】行動経済学―経済は「感情」で動いている



消費者が「感情に基づいて」様々な行動・選択をすることを様々な理論・実験結果で示している。新書の割に400ページ近いが、改めて納得できる内容は多い。では、行動主体が企業や政府になったらどうなのだろう?この点についての記述はないが、少し考えてみたい。

この考察に関しては2つの方向性がある。
■企業も政府も、とどのつまり人間の集まりであるから、行動経済学で示されているように「感情」で行動・選択をする。
■企業や政府は、人間が「集まっている」という理由で個人の感情ではなく、組織としての目的を達成するための合理的行動・選択をする。
当然、感情だけで動く組織も合理的な行動しかしない組織も存在しないであろうから、上の2つの「どちらに近いか」「どちらの方が多いか」を考えてみる。

自分は、直感的に「感情」の方が多いと思う。地域・業種・組織体系・右派左派中道など様々な企業・政府があるから、一概には言えないし、そもそも企業にも官庁にも正式に属したことはないが、企業・政府の行動・選択は人々の意思決定であり、合理的要素よりも感情・哲学に左右されているはずである。そもそも、目的を達成するために合理的な決定をすることは何が合理的なのかを判断出来るかどうかという前提の時点で不可能に近いと思う。

1か月ほど前、三井住友FGと大和証券グループ本社が「大和証券SMBC」を巡り、提携を解消するというニュースがあったが、ここでも最終的な決定は両トップの哲学の違いだった。銀・証の連携か独立という金融業界の大きなテーマに関して、誰がいま(将来からみて)合理的な判断を下せるのだろうか。

【経営】企業は地域に根ざすべきか

以前、ある方が「スポーツというのは、どこかの地域に必ず根ざしていなければならない」と言っていたのをよく覚えている。例を出すまでもなく、全くその通りだと思う。

では、「企業」はどうか。コークの味は国ごとに違うべきかという本を読んでいて、そんな疑問が浮かんだ。この本はまだ5分の1くらいしか読んでないが、願いも込めて、企業は地域に根ざすべき、というのが自分の考えだ。国単位ではなく、都市や街に。コカ・コーラならアトランタに、トヨタ自動車なら豊田に、バークシャー・ハサウェイならオマハに、旭化成なら延岡に根ざすべきだ。企業の事業の軸足というよりも、地域がその企業を誇りに思うように根ざしていて欲しい。地域に根ざすことで、ブランド力の向上・社員の意欲向上など、目に見えない形で企業を強くする。
「地域に愛される企業」と言えば当たり前のことのようだが、「グローバル化」と言われる流れに流されて忘れかけている企業も多いのでは。

10/06/2009

【書評】ラーメン屋vs.マクドナルド―エコノミストが読み解く日米の深層



まず、ラーメン屋とマクドナルドに関する深い洞察は一切ない。手にとってもらいやすいタイトルを付けただけだろう。新書はサイズも色も同じだから、タイトルがマーケティング上重要だ。そのタイトルにまんまと引っ掛かって買ってしまったが、内容は多岐に渡り興味深かった。日米の比較は色々なところでされているから、全てが目新しいわけではないが、元銀行員・現エコノミストであるがゆえに、著者の経済・金融に関する考察は鋭い。

とくに、合理的に消費者を選別する米国のリーテイル・ビジネス・モデルと、公平こそよしとする日本のそれの比較は、最終的には哲学の問題になると思うが、今までの商慣行だけでどちらかに固執することは避けなくてはならない。

【経営】外食産業の店舗経営

自分はとある外食産業のとある店でアルバイトをしている。しかし、はっきり言って業務の効率性はかなり低いと思う。例えば、食材の発注。夜中の12時半(営業終了は12時)までにPCで発注をすれば、翌日の14時頃までに届く。営業開始は平日17時、土日祝でも16時である。これを毎日やっている。つまり、極端に言えば「次の日に出る分だけ」発注していけばいいのだ。もちろん、機会損失をなくすためにある程度多めに発注するのだが、それにしても食材を保管する冷蔵庫・冷凍庫ともに食材で溢れていて、夜中の12時頃でも冷凍庫の奥は全然見えない。この現象について少し考えてみる。

現象「食材の在庫が多すぎる」の原因として考えられるのが「発注量が過剰であること」、そしてこの原因は「機会損失を必要以上に恐れていること」だ。発注量を決めるときに「機会損失は嫌だし、在庫もある程度はもつから多めに発注しよう」という気持ちが発生するのだ。そして、「機会損失をなくす」ことが目的になり、「在庫を多めに置くこと」が正当化されている。発注経験者として、「機会損失をなくしたい」気持ちは分かる(客の立場で考えても、注文した料理が「ない」「ない」では二度とその店に足を運ばないだろう)が、それにしても在庫が多すぎる。毎日発注できるのだから、営業が終わった後に食材が溢れているのはやはり異常だ。では、どうしたらいいのだろうか?そもそも適正な在庫とはどれほどなのだろうか?

適正な在庫は食材ごとに違うだろうから一概には言えないが、自分はまず「機会損失」を測ること、そして「賞味・消費期限切れ」などで商品にならなかった過剰発注によるロス、また在庫回転日数を測るべきだと思う。というか、これをやっていないから業務の効率性が低い。
機会損失は現状では在庫が過剰のためほとんど生じていないが、過剰発注ロスは現状でもかなり起きている。賞味・消費期限切れ以外を測ることは今すぐにも可能だ。しかし、実は見えないロスとして「在庫がたくさんあるから、大丈夫」という従業員の甘えによるロスもかなりある。サランラップの在庫がたくさんあったら、ラップ1cmを節約しなくなってしまうだろう。これが効率性を下げている。一つひとつは小さな「まぁ、いいや」でも、月間・年間で考えれば大きなコストだ。しかし、在庫を適正に保ち、従業員も水道の流しっぱなしなど「小さな節約」にこだわれば、効率性は必ず向上する。

「神は細部に宿る、限りなく細部に宿る」のだ。
非常に細かいことにこだわれるか、外食産業に限らず、企業の競争力を決める大きな要因になる。

蛇足だが、就活の面接でデベロッパー業界最大手の三井不動産の社員の方に「社員に共通する思い」を聞いたら「こだわり」と答えてくれた。まさに、数字には表れない競争力であり、三井不動産の業界最大手たる理由の一つだと思う。

【経営】テレビのビジネスモデル神話

昨日、友人の卒論の話の中で「テレビ業界ではコンテンツを消費する視聴者から料金を取らず、広告主から広告収入を受け取るビジネスモデルが正しいという神話がある」という話が出た。つまり、「現実」が「最適な答え」になるとは限らない、という話だ。もちろん、視聴者から視聴料を取れば視聴者が減り、広告効果も減少して広告収入も減るだろうから、単純に視聴者から料金を徴収すればいい、ということにはならないが、「当たり前のビジネスモデル」は一度疑ってみるのは非常に面白い。

「当たり前」といえば、JALの再建問題では前原国交相が「破綻などということはあってはならない」と発言していたが、本当にそうなのだろうか?当然、
航空行政を担う国交省のトップとして日本のフラッグシップキャリアを「破綻もありかも」とは言えないだろうが、このような発言が出てくる背景には「JALだから」というより「大企業だから」という考えが強いのではないか。
「大企業は潰したら影響が大きそうだから、公的資金を注入したり、ちょっとリストラしたりして延命させるのが一番」という当たり前が日本にある気がする。ビジネスモデルが周回遅れのゾンビ大企業が、優秀な学生を(大企業という)ブランドで吸い寄せ、(潰れないから)金融機関からも融資を受け続けられる状況は日本全体を世界の潮流から周回遅れにしかねない。

10/05/2009

【経済】就職活動と広告

今日の卒論の中間(初期?)発表で、友人の論文の今後の方向性としてターゲティング広告の話が出てきた。就職活動の合同説明会などを例にして、「学生」「企業」「イベント会社」の3プレーヤーをモデル化して分析していこうというものだ。

そこで前提となる話が、「企業」はなるべく自分の会社に興味を持ってくれる学生に対して広告を出したい。「学生」も自分が興味のある企業の情報を知りたい。つまり効率的にマッチングしたい、ということである。一見、その通りの話である。しかし、実情はそんなにシンプルではないのかもしれない。

企業は、新卒学生の採用活動において「他の業界に興味を持っている学生にも、自分の会社に対して興味を持ってほしい」と考えている。実際、自分が内定している企業(生保)でも、「生保に興味を持っている学生」だけでなはく「金融に興味を持っている学生」、さらには「金融に興味を持っている学生」だけでなく「金融以外の様々な業界に興味を持っている学生」をいかに取り込むか、これが合同説明会などを行う採用活動初期(10~12月)のテーマだと言っていた。
一方で、こう考えていない企業も多いと思う。「まずは自分の企業の存在を知ってもらいたい。」「その上でエントリーしてもらうには、もともと自分のいる業界に興味を持っている学生にアプローチしたい」といった企業も多いであろう。
学生にもともと知られている有名な企業と、学生にあまり知られていない企業の目的は異なっているのだ。就職難のニュースが報道されるときも、中小企業にはチャンスと言われるのもこのためである。

学生側から考えてみても、おそらく「自分が興味のある業界しか知りたくない」という学生は非常に少数だと思われる。合同説明会にセレンディピティを求める学生は非常に多い。当然、自分の興味のある業界の情報を知りたいと思わない学生はいないが。学生のニーズも様々なのだ。

また、就職「難」という傾向についても考えてみたい。
就職「難」だから、企業は採用を絞る。合同説明会に出展する企業も減る。そのため、イベント会社も収益が低下すると考えられる。
しかし、就職「難」になると、学生はエントリーする業界を広げようとする。つまり、様々な企業の情報を得ようとする。これはイベント会社にとってはプラスに働くのではないか。イベントに参加する企業が減っても、「優秀な人材をとりたい」中小企業からしっかり収益を上げることができれば、イベント会社にとって就職「難」は収益を低下させるだけの要因にはならない。

【経済】電機メーカーのブランド

最近、自分の周りで「ソニーよりパナソニックが好き」という人の声を何度か聞いた。もちろん、企業自体ではなくパナソニックの製品が好き、ということである。Blu-rayレコーダーのシェアでもパナソニックがソニーを抜いて首位に立った。

パナソニックとソニー、両社とも日本を代表する電機メーカーだが、自分の周りの人々の発言は何を意味するのだろうか。おそらく、ソニーの「エンターテインメント性」「先進性」には魅力を感じず、「生活家電」として身近なパナソニックを信頼しているのだろう。
ソニーの「WALKMAN」よりアップルの「iPod」、「PS3」より任天堂の「Wii」、「PSP」より「DS」、とソニーの製品を使うことのブランド価値が2000年以降に相対的に薄れ、薄型TVやPCでも数多くのブランドの中に埋もれてしまっている。
一方、パナソニックはこれといった代表ブランドを有している訳ではないが、ソニーと違って負けてはいない。大ヒット製品があるわけではないが、他のメーカーに負けているという印象もない。

ある製品をブーム的に一気売るわけではなく、着実にコツコツ売っていく。一発屋ではなく、コンスタントに売れるロングセラーを目指す。そうやって消費者の信頼を得ていく。こんな視点が様々な場面で有益な示唆を与えてくれる。

10/04/2009

【Mobile】Androidを一時停止

7月にAndroidケータイ「HT-03A」を購入した。
8月から実際に使い始めて、9月いっぱいまで使ってきたが、10月からは一つ前の「D905i」を使っている。

Androidは楽しいし、可能性を秘めていることも、分かる。しかし、「タッチパネル」「iモード非対応」(アプリケーションを使ってiモードメールは可能)「赤外線無し」「充電も専用コードが必要」などなど、日本で使う限りは不便な面が多いのも事実だ。テンキータッチに慣れてしまったから、メールはテンキーを打った方が楽だし、ネットワーク外部性により番号・アドレスを交換するとき・充電するときも赤外線があり他のFOMAの充電器が使えることのメリットは非常に大きい。日本にいる限りは、日本のケータイを使ったほうが便利なのだ。
逆に言えば、これらの要因こそが日本のケータイ市場のガラパゴスたる所以なのだろう。30才以上になればメールではなく電話が増えるのかもしれないが、20才前後で青春時代にメールでコミュニケーションをとってきた世代がテンキーでメールを打つことは、日本人が箸で飯を食う、というようなもはや「習慣を超えた文化」だ。
そして、ネットワーク外部性を考えても赤外線と充電器の互換性は、なくてはならない機能とも言える。なければ色々な場面で不便なことが多すぎる。

郷に入りては郷に従え。ガラパゴスの是非はともかく、これが今の日本のケータイユーザーの現実なのだろう。

【卒業論文】現在のテーマ

現在のテーマは「ICT投資を伴った商品開発競争」であり、ICTの技術革新がもたらす企業の商品数への影響を考察している。

ロングテールという概念が流行したように、ICTによって多品種少量生産が容易になった。しかし、消費者にとっては、あまりにも商品が増えすぎると「混乱」が生じてしまう。そこで企業は「自社ブランド内の商品」の中での混乱を解消するためのICT投資(ブランド内効果の解消)と、「他社ブランドの商品」との混乱を解消するためのICT投資(ブランド間効果の解消)をする。前者は自社サイトへの検索エンジンの導入、後者はSNS・Google Adsenseの適用などである。
このコストをモデル化し、ホテリングモデルと合わせ、パラメータを比較静学する。

すると、ブランド「内」効果解消のためのICT投資のコストが技術革新にとって下がることは(当然と言えば当然だが)コスト優位性のある企業をより比較優位にする。強い企業が商品数を拡大し、弱い企業は商品数を絞らざるを得ないということである。
しかし一方で、ブランド「間」効果解消のためのICT投資のコスト低下は、コスト優位な企業は商品数を絞る誘因になる。つまり、ブランド「内」効果解消のためのICT投資コスト低下と逆方向に働く。

このようなモデルを研究しているが、現時点ではまだ土台を作った程度でこれから年末にかけてじっくり詰めていく予定である。

【書評】ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる



日本が世界に誇る「ものつくり」。しかし、「ものつくり神話」にすがってはならない。筆者は戦争での敗戦に重ねて、日本の「ものつくり」に警鐘を鳴らす。

家庭にも企業にも都市にも田舎にも至るところにものがあふれている現在、人々が求めているのは「モノ」ではなく「モノ」を使ったことによって得られる様々の「コト」である。

「アップルはiPodを売っているのではなく、ライフスタイルを売っている」とよく言われるが、品質を上げることや価格を安くすることはあくまでも供給サイドの話であって、消費者からしてみたらどうでもいいことなのかもしれない。
以前、ニュースで西友が不振の衣料品をテコ入れするために20代前後の女性向けに新商品を開発したという話があったが、直感的に「これは売れないな」と思った。品質が素晴らしく。、低価格な製品を開発したと思っているのかもしれない(確かインタビューでは50代くらいの男性の幹部が戦略を話していた)が、20代前後の女性が西友で外に着ていく衣料品を買うだろうか。「これどこで買ったの?」と聞かれて「西友」と答えたい人がいるのだろうか。西友はむしろ、衣料品をどうしてもテコ入れしたいのなら、部屋で着るような服に特化すべきだろう。

【スポーツ】東京オリンピック

東京が2016年オリンピック招致に落選した。テレビ報道では基本的に「残念、でもプレゼンは頑張った」「五輪選手のコメントは~~」というスタンス。マスメディアとして「残念」と伝える割には、招致活動はほとんど応援してなかったように思えるのは、本音として「どーせ無理」と思っていたようにも思える。テレビ番組で、日本総研副理事長の高橋進氏が「開催地が決定する最後まで、東京でオリンピックをする必要性が分かりませんでした。」と述べていた。テレビ局外部のコメンテーターはテレビの報道姿勢に媚びない(テレビ局に睨まれても大丈夫なため)から、このようなコメントが可能だが、そう考えていた人もテレビ局内も多いのでは。
ネット上では「もともと開催すべきはない」という意見が多かった(池田信夫blog小飼弾blogなど)一方、スポーツに携わる人にとっては「素直に残念」という人が多かったのが印象的だった。

自分としては、オリンピックは確かにスポーツイベントを身近に観れることはもちろん個人的には嬉しいが、理想としてはオリンピックを「上」から持ってくるよりも、地域のスポーツを「下」から突き上げて身近に感じたいから、「東京オリンピック」は至上命題のような必要性を感じない。


さて、昨日久しぶりに首都高や環七を車で通った。現在、首都圏3環状道路は建設中で、完成は2015年頃とのことだが、オリンピック招致活動に都税150億円使うよりもこういったインフラ整備を急ぐべきである。