1/07/2010

【書評】ネットがテレビを飲み込む日



本書は2006年6月に発行されたので、月日としては3年半前になる。本としては決して古くはないが、「最近、YouTubeというアメリカのサイトが話題になっている」という記述を読むと急に大昔のことのように感じる。
そのくらい、情報通信技術の進歩は速く、人々の生活に浸透するのも速いということだ。

本書の第1章を執筆した山田肇氏は放送と通信の関係をウサギとカメに例える。その昔、双方向の通信と言えば電話であり「音声」を届けるのが精一杯だった。一方でテレビやラジオなどは一方通行の放送で、半世紀以上前の技術で音声だけでなく映像も届けることが可能だった。
その後、カメだった通信が急に速度を増した。それがデジタル化である。半導体・光ファイバーの技術の進歩、インターネットの商用化などで通信でも技術的には映像などを送れるようになったのだ。

しかし、身の回りの現状はどうだろう。技術的には可能であるにも関わらず、インターネットでテレビ番組のアーカイブなどを視聴することは出来ない。

これはなぜか。本書では、技術的に可能になった背景から著作権や新聞社・テレビなどのマスメディアの構造を解説している。

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小さい頃、自分の部屋に欲しくて欲しくてたまらなかったテレビは今やおそらく一日家にいても全く観なくて平気になってきた。それは他ならぬインターネットがあるからであり、RSSリーダーとTwitterで情報を集めているので新聞も読む必要がない。
そう思っていると、対称的なのは団塊世代の父親だ。父は毎日、日経新聞を読んでいるし夕食後はテレビを観ている。

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自分の家庭を一般論に広げるのは乱暴極まりないが、本書では父と同じ世代かその前後の世代の方たちがメディアについて論じている。
しかし、論壇に登場しない若い世代の間では既にメディア界の地殻変動は進行しているのかもしれない。