ちょっと前に書店で「「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち」という本を見かけた。その時は買わず、今もamazonのほしい物リストに入れたままだ。
その「嫌消費」が最近ネットで少し話題になった。週刊ダイヤモンドに記事が載ったことが要因らしい。
「嫌消費」世代(2010年)-経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち
「クルマ買うなんてバカじゃないの?」
「アルコールは赤ら顔になるから飲みたくない」
「化粧水に1000円以上出すなんて信じられない」
「大型テレビは要らない。ワンセグで十分」
「デートは高級レストランより家で鍋がいい」
80年代前半生まれの「バブル後世代」、つまり現在の25~30歳を松田久一氏は「嫌消費世代」と呼んでいるらしい。
それに対して、青木理音氏はこうブログに記している。
今の収入を使いすぎない合理的な理由はいくらでもある。
将来の収入が心配なのがその一つだ。
今消費しないのは消費が嫌いだからではない。
将来消費したいからだ。
本当に消費欲自体がなくなっているなら
収入に対する欲求も減るはずだが、
収入に不満を持つ若者の数は増えている。
「嫌消費」なわけない---経済学101より抜粋。
また、狐志庵(ニックネーム)氏は「別の視点から」ということでこう記す。
「贅沢」を目の当たりして、
はじめてその贅沢に興味を持つのではないだろうか。
誰かがしてるのを見ないと
何がよいのかもわからないのではないか。
そもそもその贅沢にかかる値段すら知らないのではないか。
見えない贅沢は想像できない---狐の王国より抜粋。
基本的には、青木理音氏の分析で間違いないと思う。青木氏もプロフィールからすると80年前半生まれかもしれない。
80年代前半生まれの人々の消費動向という視点は面白いが、「消費が嫌い」という結論付けには違和感を感じる。いま消費をしないのは、将来の収入に不安があるからであり、消費が嫌いなわけではないだろう。松田氏も将来不安には言及しているので、単純にネーミングの問題かもしれないが。
現在25~30歳の人々の将来不安を示しているのが、今の35歳の現実だ。これまた、まだ読んでいないのだが「“35歳”を救え」という本も話題になっている。これを書評したブログにはこうある。
35歳に降りかかっている低所得化の現実と、
それに起因して結婚できない人たちが
増えている現実による少子化も重なり、
日本全体として閉塞感が漂っています。
将来は収入も上がりそうにないし、
負担は増えそうだと考える人が多いため、
将来に希望が持てないのです。
なぜ10年前の35歳より年収が200万円も低いのか-"35歳"を救え---投資十八番より抜粋。
25~30歳だけでなく、その上の35歳も将来に不安を抱えているのだ。これでは、「消費しない」ことは極めて合理的な判断に基づくものであり、もはや不思議でも何でもない。
ただ、もう一つ違う視点から考えてみれば「魅力的なものがない」とも考えられる。クルマ・テレビ・新聞などは、若者に買ってもらう工夫をしているのだろうか、とも思えてくる。個々で見れば、クルマは高性能・低燃費になり、テレビは大型化・高精細化、新聞は・・・(字体を見やすくした?)、と色々進歩しているのかもしれないが、それはあくまでの供給サイドの論理であり持続的イノベーションでしかない。つまり、若者がクルマ離れをしたのではなく、クルマが若者離れをしたという視点だ。
逆に、10年前の25~30歳はほとんど使っていなかったであろう携帯電話は人々の生活にとって必需品になっている。それは若者がケータイに近づき、ケータイも若者に近づいたからとも言えると思う。
このように、将来不安と魅力的なモノが減ったことという様々な要因が考えられるため、25~30歳の消費動向は考えてみる価値がある。