11/19/2009

【経済】激変の時代は本当か

「最近は時代の変化が速くなった」

このフレーズを見たり聞いたりすることは非常に多いが、日常的に見聞きするため、納得したことはほとんどない。常に言われているということは、変化のスピードは「速くなった」のではなく「常に速い」のだ。
さらに、(これはコトバの問題だが)あるモノのスピードが「常に速い」ということは「一定の速度」で常に変化しているということだ。

自分は冒頭の台詞を見聞きする度に、「ただそう思いたいだけなのではないか」と穿った見方をしてしまう。そこで、そもそも「時代の変化」をどう測ればいいのかを前から考えていた。

結論から言えば、自分と歳が離れた人と自分を比べて「同じ歳だった時期の感覚」を比べることが、時代の変化を肌で感じられると思う。例えば、5歳年下の人と自分とでは携帯電話に対する関わり方が大きく違うだろうし、10歳年上の人と自分とでは自動車に対する考え方が違うかもしれない。

つまり、「感覚のズレが生じる年齢差」こそ時代の変化のスピードになるのだ。おそらく、現代におけるこの年齢差は上昇(=変化が遅くなる)はしていないだろうが、大きく縮小(=変化が速くなる)もしていないというのが自分の仮説だ。

もちろん、この指標だけで時代の変化のスピードを測るのはかなり危険だ。世代内の感覚のズレなども生じている可能性だってある(自分の感覚ではほとんどないが)のだから。

「ドッグイヤー」という言葉は、犬の1年はヒトの7年に相当するということから短い期間に様々なことが起こるを意味する。この前ちょうど自分と7歳年が離れた女子高生と少し話す機会があったが、7年前の自分たちの世代とあまり変わっていないように感じた。

時代は常に変化している。立ち止まることはないが、急に速くなることもない。これが自分の仮説だ。